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治療

2026.04.26

静脈抜去術について想うこと

静脈抜去術の最終進化形

別の項目で、下肢静脈瘤治療の目的は壊れた静脈を無くすことと説明しました。かつては、静脈抜去術という治療が行われ、文字通り問題の静脈を抜き取っていました。実は、私もその治療はたくさん行っており、静脈抜去術の最終進化とも呼べる状態を経験して来ました。よく、一般的に静脈抜去術は痛いとか言われますが、静脈抜去術にも様々な種類があり、実は最終進化形の静脈抜去術はそんなに酷いものではありませんでした。手術に伴う痛みとか、出血とか、傷の大きさとか、いずれも普通の日帰り手術で問題無く行えるレベルで、患者さんからの評判も上々だったと記憶しています。

幸せ?な記憶

ただし、それには条件があり、当時の私はとても厳しくも優しい上司に恵まれ、その鞭と鞭と愛情に溢れた指導のもとで1日あたり12人程度の静脈抜去術に関わり、1日中下肢静脈瘤のことだけを考え続けるという、下肢静脈瘤の虎の穴とも呼べる環境で暮らしていました。仕事中の一挙手一投足全てに厳しい目が注がれ、絶対に間違いを起こすことが許されず、しかもかなりタイトな時間制限がある。現代社会では決して許されない労働環境ですが、その厳しさがそのような高いレベルの手術を可能にしていました。

静脈抜去術の難しさ

表現が難しいのですが、残念ながら下肢静脈瘤の治療にそこまで正面から向き合っている医師は少ないです。そして、同じ「静脈抜去術」と呼ばれていても、情熱の薄い医師が行うそれと、私達が行っていたものは全く異なるものでした。真剣に取り組んだ静脈抜去術は患者さんにとっては本当に良い手術でした。しかし、静脈抜去術にはリスクがあります。その精度で手術をしていても、例えば、血管の処理が不十分だと出血したり、珍しい血管走行を持った例では自分の目の前にある血管が本当にターゲットなのか不安になったり(99%大丈夫だと思っていますが100%で無いと駄目なんです)、全てにおいて完全な手術をしていないと帰宅後の患者さんに問題が起こっていないか心配で眠れなくなります。手術って本当に難しくて、すべてのステップで完璧なことをしないと、問題が起こるんです。完璧を目指すために、事前に勉強し、手技を磨き、術中には全てに神経を張り巡らせます。恩着せがましい表現をすると、患者さんの幸せを生み出すために私達は本当に自分自身の魂を削るような時間を過ごしていました。

技術だけでは無い難しさ

でも、手術がさらに難しいのは、その集中している様子を患者さんに悟られないようにしなければならないのです。何故だかわかりますか? 例えば、大道芸人のパフォーマンスでは、彼らは自分がとても難しいことをするように話しますし、(実は簡単にできることであっても)、「これまでに何回かしか成功したことが無い」みたいなことを言います。そう話すことで、観客が喜ぶからです。では、私達医師が、手術前に「これまでに何回かしか成功したことが無い」と言ったら皆さんはどう思われるでしょう。「私のためにそんなすごいことに挑戦してくれるんだ」と目を輝かせてくれる方々ばかりなら幸せですが、実際にはそうではありません。普通は不安になります。誰だってそうでしょう。医師がほとんど経験したことの無い手術を受けるなんて、絶対に嫌です。そして、もし手術室に緊張感が漂っていたら、患者さんは不安になるのです。緊張感の理由が何かなんて患者さんにはわかりません。もしかすると、医師がトイレを我慢しているだけかもしれませんし、看護師の息子さんの受験が迫っているかもしれません、何かスタッフが口論をしたのかもしれません。そして、何よりも医師が集中して無口になると緊張感が漂います。理由が何であれ、その重い空気を患者さんは感じ取り不安になります。

緊張と緩和の間で

バランスは難しいです。医師がリラックスしていても手術室に入った時に医師がゴルフの素振りをしていたら、それはもっと不安になるかもしれません。集中しながら、緩和する。例えば、若いのにすごく優秀な知識と技術を持った先生も見てきましたが、この手術室の空気感までコントロールできる人はほとんどいません。若い頃は、ただ知識と技術を覚えることに必死になりますが、完璧な手術をしようとするとこういったチーム全体を俯瞰する力も重要で、それに気がつくのはかなり年月が経ってからです(一生気付かないまま引退する先生も多いです)。

長い医師生活の中で、職場が変わり、立場が変わり、手術も変わりました。それでも、できるだけ良い結果を出したいという部分は変わりませんし、そのためには知識、技術、雰囲気、チームワーク全てが必要で、私はこの仕事が大好きです。

山本 崇

やまもと静脈瘤クリニック

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